花柳界の迷信と長岡新遊廓の貸座敷・藝娼妓

長岡新遊廓の貸座敷・藝娼妓と花柳界の迷信
長岡花火の歴史
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明治から昭和初期にかけて存在していた長岡遊廓。

今では遊廓があったことを知るひとは少ないですが、長岡花火が長岡の一大名物になったのは長岡遊廓の藝娼妓たちのおかげなんです。

長岡花火の歴史の始まった明治初期から約40年の間、長岡遊廓の多くの藝娼妓たちがスポンサーになって繁榮させてくれました。

長岡遊廓の藝娼妓たちが長岡花火を誇れる花火大会に発展させてくれたことを忘れないように、花柳界の迷信と長岡新遊廓の貸座敷と藝娼妓について長岡花街誌🌾などの書物からご案内します。

花柳界の迷信

未開の時代において迷信が存在するのは当然のことです。

特に蒙昧野蛮な民ほど迷信が多いものです。

文明開化が進んだ現代社会においては迷信は存在しないと思われがちですが、それは誤りです。

迷信は恐らく数千年経っても完全に無くなることはないでしょう。

理由は、どのような時代においても人智の平等は不可能だからです。

たとえ知識や教育のある人でも、全ての事柄に通暁しているわけではありません。分からないことが多ければ多いほど、疑問も増えその半面には迷信が生まれます。

教育を受けられない芸娼妓のような人々にとって迷信は避けられないものです。

以下では、彼女たちの社会における迷信についていくつか紹介します。

遊廓の緣喜棚

どの遊廓にも緣喜棚と呼ばれるものがあります。

緣喜棚に祀られているものは様々です。数年前までは羅石を太神宮様の隣に飾っていたこともあるようです。

さて、この緣喜棚には毎日欠かさずお茶、御神酒、御燈明が供えられています。
藝娼妓たちは夕方、湯に入って化粧を済ませると衣装に着替え、緣喜棚の前に来ます。そしてカチカチと燧火を鳴らし、何かクドクドしく口の中で念じています。

藝娼妓たちは真面目に、そして熱心に信仰して祈願するのです。さらに、藝娼妓たちは少し暇があれば、様々な占いや呪いをやっているだけでなく、楼主側もそれに類したことはいくらでもあります。

例へば

土砂と三本毛

流行らない遊女屋が繁盛する遊女屋から客を奪おうとする際、自分の家の前に土砂を持ってきて緣喜棚に供えます。しかし、それでも効果がない場合、妻や娘の前髪の毛を三本抜いて、繁盛する家の羽目に人知れず貼り付けると言われています。この行為は必ず功を奏すると信じられていたのです

心を探る上草履

遊女が情夫の心を探るために用いる呪い

男が寝息を立てているのを確認してから、便所に行く。
草履の一方を手に取って、後ろを振り返らずに部屋に戻る。
男の胸のあたりを草履で撫でながら、こちらから声をかけ、男の心中を探る。
男は夢中で答え、その女に全く心がない場合は、正直に本音を寝言のように話すという。

丑滿時の呪

これは芸者や娼妓の間で行われていたという呪いです。今は苦しい生活を送っているが、将来どのような夫を迎えることができるのかを知りたい場合にこの呪を行うのです。

丑満時(午前2時頃)に、床の間のない八畳の座敷に入り、部屋を暗くして四隅に鏡を立てます。そして、無言で鏡を順番に覗き込んでいくと、いずれかの鏡に将来の夫の顔が映るというのです。

歌と神佛の名

遊女などが折々行う呪い

百人一首の歌「来ぬ人を待つをぞ浦の夕なぎに焼くやしほの身もこがれつつ」(伊勢)を中紙や色紙に散らし書きにし、その端に「誰殿何時何日までに必ず来るように頼み上げ候」と記します。さらに、日頃信仰している神仏の名を書き添えて、壁などに逆さに貼っておきます。そして、思いを寄せる客が来た時に、人知れず紙縒りにして燃やしてしまうのです。

上方唄の桐の雨

上待っている人が音沙汰のない客を呼び出すために用いる一法として古くから伝承されてきました。

手紙を送っても返答がないような場合、三味線で「桐の雨」を三遍演奏し、心の中で客が来ることを祈念すると、効果が現れると言われています。

長岡新遊廓の貸座敷と藝娼妓

長岡遊廓は、もともと南廓と北廓との二遊廓が在ったのですが、明治四〇年に両廓が合併して現在の文治町へ移轉しました。

貸座敷が三十二軒あって、娼妓が約百二十人いますが縣下の女が多い。

店は陰店を張って居て娼妓は時間制もあるが大たいに於て廻し制で、短時間遊び(約四十分)が〇の物附き一圓八十銭、一泊が二園五十銭位である。

全部廻し部屋で本部屋制は無い。

娼妓は、若狭樓、全盛樓、圍紫樓、稻本、賽來樓、大須栗樓、今重樓、中川樓、上桝樓、大杉樓、清風樓、新小熊樓、玉樓、徳榮樓、新明樓、面白榮樓、大須栗樓、北越樓、新柏樓、高砂樓、花月樓、多滿川樓、再思樓、高盛樓、今會樓、二重樓、清明樓、文明樓、新都樓、栄樓、敷島樓等がある。

藝妓屋組合藝妓

藝妓屋組合 藝妓
柏屋 むつ
湖月 すい
桝屋 たい
新唐津屋 やつこ
黃金屋 きん
白水 きん、こう
田毎 吉次
丸山屋 みどり、小仙、小萬
寳來屋 竹次、まる
いさごや 貞奴
目黑屋 ぼん太、かの子、いろは
吉田屋 小よし
新梅松屋 たい、〆壽
一誠樓屋 小三、みよ
林屋 ちよ

貸座敷と藝娼妓

貸座敷 藝娼妓
圍紫樓 藝妓 みよ、艶子、千代、祝(一等地・西)
娼妓 そめ、しん、すみ、やま、みす、ます、むら
出雲樓 藝妓 たつ、さく、若枝、きく、
娼妓 はつ、さき、みい、千代
一力 藝妓 きん
娼妓 きい、福壽、たけ、わか
今重 藝妓 さだ
娼妓 しま、ゆきよ、きみ、きん、浪江
稻本 娼妓 稻本、小千代、小萬
日進樓 藝妓 正治(二等地・梅川)
娼妓 小三、いろか、てる
寶來家 藝妓 よし(一等地・西)
娼妓 松枝、菊枝、花枝、玉枝、みよ、君子、やい
寶船樓 藝妓 いつ、かつ子
娼妓 吉野、すい、きみ
本多樓 娼妓 れい、きく、やま、つた
栃尾樓 藝妓 とら、すい
娼妓 すみ、ます、とき、千代、春枝、つね
桐油樓 娼妓 操、たま、たか、ふぢ
德榮樓 藝妓 金助
娼妓 松廼、花枝、愛子
上桝樓 娼妓 つた、はん、もと、よね、その、わかなみ
神支樓 藝妓 とき
娼妓 さの
小熊樓 娼妓 たま、千代、漣、花香(二等地・梅川)
大須粟樓 藝妓
娼妓 こま、清枝、梅廼、たい、はる
面白榮樓
大杉樓 藝妓 助六
娼妓 みやきの
若狭樓 藝妓 すぎ
娼妓 うめ
若水樓 娼妓 初根、千代、みやぎ、君子
金澤樓 娼妓 とき、さき、いわ、みか、
芳野樓 藝妓 いく(二等地・梅川)
娼妓 小梅、きせ、いき、とし、むら、瀧枝、八重
多滿川樓 娼妓 いし、きみ、玉の井、さき
立田川樓 娼妓 竹野、桃太郎、小蝶、まさい、まつ子、小松
高砂樓 娼妓 はな、さよ、松尾
玉樓 娼妓 まきの、さい
中川樓 藝妓 仲吉
娼妓 若竹、君香、きよし、なか、吉野
中野樓 娼妓 しげ、とく、とめ、たつ、千代、せつ、まつ
中須栗樓 藝妓 すま
娼妓 みつ、よし、ふぢ、田毎、やま、いし、とし
武藏樓 娼妓 やま、いし、とし(一等地・東)
雲烟樓
松葉樓 小三
娼妓 みと、くに、千代、さく、とら
文明樓 藝妓 清枝、ぼん太
藝妓 桃枝、錦
小須栗樓 藝妓 ふぢ、金太郎
娼妓 せき、こすい、正枝
壽樓 娼妓 はつ、よき、みね
今會樓 娼妓 峯子、吉井、きよ、そよ
盛樓 娼妓 こう、わか、すま、こと、きよ
古蔦樓 娼妓 みよき、みよの、みやぎの、とめ
旭樓 娼妓 たつ、靜枝、八重
再思樓 娼妓 一とき、ちよの、わか、いと、はる
堺樓 藝妓 ぎん、ひさ
娼妓 のぶ、こせん、くに、小春、ちよの
金盛樓 藝妓 綱、そめ、まつ、みれ、むつ(一等地・東仲之町)
娼妓 てる、たつ、千代、すみ、石子
菊岡樓 娼妓 小浪、高嶺、一二三、さより、しのしめ、こをくわ、玉絹、こをばい(二等地・梅川)
結城樓 藝妓 わか、頓子、さいざう、〆太、萬歲
娼妓 おはん
美登利樓 藝妓 松野、せつ(一等地・東仲之町)
娼妓 ときよ、よしの、八重
新柏樓 藝妓 みどり(二等地・高尾)
娼妓 瀨川、初根、花山、櫻木、みよ、みやぎの
新明樓 娼妓 小糸、清枝、藤野、浪枝
新都樓 娼妓 きよ、春子、こせん
松盛樓 娼妓 小〆、小梅、小雪、菊枝、小花、あやめ、都、みよ(二等地・梅川町)
敷島樓 娼妓 よみ、かつ、さき
清明樓 娼妓 かきつ、みせ、ぎん、たけ、こせい、いつ、たま、ゆき、はん
清風捿 娼妓 とみの

参考文献

  • 長岡花街誌(永田直治郎 著)
  • 絵画北越商工便覧(坪井政太郎 編)
  • 長岡市史(長岡市 編)
  • 全国遊廓案内(日本遊覧社)

無料で閲覧でくる長岡花街誌

大正元年に発行された長岡遊廓・長岡新遊廓のガイドブック「長岡花街誌」は、知られざる長岡花街について詳しく解説した唯一の書籍。

遊廓の年中行事や長岡新遊廓の貸座敷と藝娼妓や花街の迷信など興味深いことが書かれています。

著作権保護期間(50年)を経過した文献で国立国会図書館デジタルコレクションのアーカイブから誰でも無料で閲覧できます。

 

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