長岡花火の三尺玉を17発を打場げた上越線全通記念博覧会

長岡花火の歴史
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長岡花火の三尺玉17発!上越線全通記念博覧会

戦前の長岡花火はあまり知られていませんが上越線が全通した昭和 6 年に開催された「上越線全通記念博覧会」で餘與よきょうとして長岡花火が打ち上がりまくり!

昭和初期から長岡の一大名物になっていた長岡花火が鮮やかに大會を彩りました。

ひるの三尺玉は今回が最初であつて一愛に数百の風船を空中に散亂せしめ、夜の池畔の仕掛花火と共に大いに好評を博したといわれます。

長生橋下流で打ちあげる夜の花火は會場内長岡出品舘あたりの上に鮮かに散開し一入ひとしおの賑いでした。

戦前の長岡花火を打ち揚げた「上越線全通記念博覧会の長岡花火」についてご案内します。

出典:柏崎図書館 小竹コレクション

長岡花火の打場日數

上越線全通記念博覧会の会期は8月21日から9月30日の41日間。

会期中に、名物の長岡花火が晝・夜ともに盛大に打ち揚げられました。

晝玉:四十一日間
夜玉:二十三夜

長岡花火の種類と玉敷

上越線全通記念博覧会の会期中、41日間に打ち上げられた玉敷は……。

\ 2,322 發!/

玉種 夜玉 晝玉
三尺玉 15發 2發 17發
二尺玉 1發 1發
尺玉 36發 36發
七寸玉 211發 2發 213發
五寸玉 461發 18發 479發
四寸玉 882發 696發 1,578發
仕掛 5組 5組
スターマイン 3台 3台
合計 1,614發 718發 2,322發

上越線全通記念博覧会 夜玉打揚表

日程 スターマイン
名稱
三尺 二尺 一尺 七寸 五寸 四寸
8月21日
1 1 早打ち1組 30 50
8月22日
7 18 30
8月23日
7 18 30
8月25日
小雨
6 18 30
8月26日
1 7 18 30
8月27日
7 18 30
8月29日
7 18 30
9月1日
1 1 7 17 30
9月3日
1 3 7 30 51
9月6日
1 2 8 17 29
9月7日
1 3 6 16 30
9月8日
1 4 5 16 33
9月9日
大仕掛
食堂組合
1 4 6 16 33
9月11日
スターマイン
富士に飛行機
5 6 16 33
9月13日
6 7 17 33
9月14日
長岡煙火協会主催 全国協議会
スターマイン 長江を彩る空の花園
9月15日
仝上
スターマイン 上越博の盛況
9月19日
2 8 21 40
9月20日
1 5 17 38
9月21日
2 8 21 41
9月23日
大仕掛
奉天城に日章旗ひらめく
1 6 16 37
9月24日
大仕掛
ナイヤガラの瀧
1 2 8 21 41
9月28日
雨後睛
1 6 17 37
9月29日
強風雨
2 8 21 41
9月30日
睛後曇
仕掛スターマイン
淸水トンネル開通
1 6 17 37

 

全国煙火協議會 主催:長岡煙火協會

十四、十五両夜の打ち上げた三尺玉を初めスターマイン其他は全部、長岡煙火協會がの打ち上げました。

上越線全通記念博覧会の餘興よきょうとして行われた全国煙火協議會では、全国から集まった三十数名が妙技を競い、長堤一里は立錐の余地なく参観者に満たされ、全市の屋上に人なきはなく十五日の本会入場者は会期中の最高を示しました。

第一日プログラム(同會發行 一枚刷目録抄)

番外標準玉變心變化菊 七寸 長岡煙火協会會
銀波に小割花模様 七寸
引先變化 七寸
番外標準玉花に群龍 五寸
嵐山 五寸
靑心變化菊外三 七寸 新潟 黒崎增吉
晴夜の松島外一 五寸 長岡 中川繁治
昇り曲付 菊先紅光露に小割模様外 七寸・三寸 栃木須永煙火工場
(以下略) (以下略) (以下略)

 

煙火協議會の入賞者

入賞 地域 花火師
第一種優等 新潟縣 中川 利夫
三等 新潟縣 安藤 鉾太郎
第二種 一等 新潟縣 小泉 庄吉
七寸 一等 長野縣 青木 多門
〃 二等 長野縣 中川煙火工場
〃 二等 滋賀懸 廣岡 幸太郎
〃 三等 新潟縣 中川 繁治
〃 三等 新潟縣 瀬沼 兼三郎 下略
七寸 二等 新潟縣 加瀬 亀吉
〃 三等 山形懸 山内煙火店 下略

煙火製造人

地域 花火師
長岡市 中川繁治
古志郡栖吉村 酒井興久次
古志郡新組村 恩田興久次
古志郡新組村 安藤寅吉
古志郡黒條村 加瀬亀吉
柏崎市 小林勘司
小千谷町 瀬沼兼三郎

 

長岡花火の正三尺玉 100周年

長岡で初めて三尺玉が打ち上げられたのが1906(大正15)年の 九月。

と、いうことは…… 2026 年で……

\三尺玉 一〇〇周年!!/

正三尺玉 100周年の2026年は上越線全通記念博覧会の17發!とは言わないけど、記念イベントを開催してちょっと多めにあげてほしい。

長岡花火の最高傑作「正三尺玉」の歴史

二代目中川繁治(栗山徳麿)が長岡で初めて三尺玉を打ち上げたのが1926(大正15)年の9月。

長岡の一大名物になっていた長岡花火を更に賑やかにして上越線全通記念博覧会を彩りました。

三尺玉の製造は戦時中に一時、途絶えましたが、長岡の花火師 嘉瀬誠喜氏・誠次氏によって1951(昭和26)年に戦後初の「正三尺玉」が復活しました。

長岡花火が誇る比類なき「正三尺玉」の歴史を深掘りした記事はコチラ。

 

出典

上越線全通記念博覧会 編 『長岡市主催上越線全通記念博覧会誌』

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長岡花火ドットコム

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