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    【FAQ】長岡花火のはじまりの歴史でよくある質問と謎質問の回答

    【FAQ】長岡花火のはじまりの歴史でよくある質問と謎質問の回答

    目次

    『長岡花火の歴史』でよくある質問と謎質問の回答

    長岡花火には、長岡空襲で亡くなった方々の慰霊、復興に尽力した先人への感謝、そして恒久平和への願いが込められています。

    空襲で亡くなられた方々への慰霊、復興に尽力した先人への感謝、恒久平和への願いを込めて白一色の尺玉3発を打ち上げる

    出典:長岡まつりに想いを込めてLEARN|長岡花火公式

    長岡花火は慰霊と復興の花火と思われていますが、実はこの想いは割と最近から始まったストーリー。

    長岡花火大会の起源は、明治時代に遊廓の藝娼婦たちによる年中行事。

    長岡花火ドットコムでは、長岡花火公式サイトが語っていない、戦前の長岡花火の歴史を丸ごと詰め込んだ長岡花火の歴史年表から長岡花火のいろいろなルーツをご案内します。

    長岡花火の歴史|よくある質問と回答

    長岡花火はいつから始まったのか?

    諸説あります。

    • 1821年 文政4 炮術の順打ちを披露 
    • 1879年 明治12 千手町八幡神社の祭礼で最初の煙火打揚
    • 1880年 明治13 長生橋下で最初の煙火打揚
    • 1947年 昭和22 戦後の長岡花火復活

    当サイトは、長岡花火大会の起源は明治13年を推しています。

    長岡花火で最初の二尺玉が打ちあがったのはいつ?

    1917(大正)6年 

    田崎藤藏(百束)が「二尺玉」4発を打ち上げ

    (出典:今泉省三 著『長岡の歴史』第5巻,野島出版,1972. NDLデジタル)

    正三尺玉が初めて打ち上がったのはいつ?

    1927(大正16)年

    花火師 中川繁治(草生津)によって打ち上げられた。

    (出典:今泉省三 著『長岡の歴史』第5巻,野島出版,1972. NDLデジタル)

    出典:今泉省三 著『長岡の歴史』第5巻
    出典:『長岡の歴史』

    戦後初の正三尺玉はいつ?

    1951(昭和26)年

    嘉瀬誠喜、誠次(嘉瀬煙火工業)によって戦後初の正三尺玉が打ち上げられた。

    (出典:長岡の花火を創り続けた伝説の花火師嘉瀬誠次,長岡市, 2013. 長岡市政ライブラリー)

    初めてのスターマインはいつ?

    1927(昭和2)年

    (出典:長岡まつり・大花火大会の歴史, 長岡花火公式サイト)

    長岡で正三尺玉を打ち揚げまくったのはいつ?

    1931(昭和6)年に開催された上越線全通記念博覧会の会期中に17発を打ち上げた。

    夜玉15發、晝玉2發の正三尺玉の打ち上げはすべて成功した。

    (出典:上越線全通記念博覧会 編『長岡市主催上越線全通記念博覧会誌』, 長岡市主催上越線全通記念博覧会,昭和7. NDLデジタル)

    長岡花火の代名詞「ベスビアス」が初めて打ちあがったのはいつ?

    1960(昭和35)年に新登場!

    ベスビアスの名前の由来は、ヨーロッパ大陸唯一の活火山「ヴェスヴィオ火山」(英語名:ベスビアス)から名づけられました。

    中部イタリア、ナポリ市の南東16キロにあるヨーロッパ大陸唯一の活火山からとって名づけたものです。記録に残る「ベスビアス」の大爆発はまず西歴 79年 8月、ポンペイなどの都市を一瞬にして地下に埋没させました。

    中略

    さて、このようにベスビアスの大噴火は大規模で世界屈指の火山ですが、たまたま長岡市で打揚げられる豪華なスターマインがあたかも「ベスビアス」の大噴火を思わせるようなことから、「ベスビアス大スターマイン」と銘うって、皆さまから堪能していただいております。

    引用:長岡まつり煙火目録

    長岡まつりベスビヤス初登場
    出典:長岡市政だより第71号,長岡市, 1960. 長岡市政ライブラリー

    長岡大花火音頭が発売されたのはいつ?

    1970(昭和45)年。

    長岡大花火音頭の歌詞は広く公募されて、市内135 県内94全国46合計275点の応募があり、詩人の深尾須磨子さんが慎重に審査した結果、富永久男氏(栖吉二)の作品が入賞しました。

    (出典:長岡まつり協議会『長岡市の大花火』,昭和45年,長岡市立図書館所蔵)

    出典:長岡まつり協議会『長岡市の大花火』

    長岡花火で一番大きな花火が打ちあがったのはいつ?

    1983年に三尺五寸玉が打ち上がりました。(長岡花火プログラム 昭和58年

    (出典:ジェー・アイ・シー・シー企画制作局 編集制作『花火千夜一夜 : ひとときの夢をもとめて』,JICC出版局,1984.7. NDLデジタル)

    尺玉連発はいつから?

    市政80周年を記念して1986年から開始

    光と音の祭典(8月4日)に10号玉早打ち80発として始まりました。以降、毎年1発つづ追加されて2006年に市制100周年を記念した尺玉100発が打ち上げ。

    長岡花火の名物花火「米百俵花火・尺玉100連発」の歴史と誰得情報

    (出典:長岡まつり協議会『長岡市の大花火』,昭和61年,長岡市立図書館所蔵)

    長岡花火の歴史|誰も気にしない謎質問と回答

    長岡まつりで白菊が最初に打ち揚げられたのはいつ?

    2003(平成15)年の8月1日。

    長岡まつりで、はじめて白菊が打ち揚げられたのは2003年で意外と最近⁉️

    打ち揚げられた理由は、長岡まつりに対する慰霊の念が薄れてきたから。

    長岡花火=慰霊・復興・鎮魂の花火が強調されていますが、実は市民も「慰霊・鎮魂の花火」を忘れていたのです。

    (出典:長岡市発行「長岡市政だより第707号」,平成25年,長岡市政ライブラリー)

    長岡大花火大会で白菊が最初に打ち揚げられたのはいつ?

    2006(平成18)年に『平和への祈り 10号2発』として、打ち上げられました。(長岡花火プログラム 平成18年

    正三尺玉の打ち揚げ合図がサイレンの音はいつから?

    1933(昭和8)年頃から始まりました。

    それまでは、市内の電燈一斉消灯を合図に打ち上げられていました。

    2009年まで長岡市消防本部(西千手1丁目)のサイレンが鳴っていましたが現在は、消防署の移転につき会場のスピーカーから音源で流れます。

    つまり、戦前からなのでサイレン=空襲警報はよくできた勘違いです。

    (出典:長岡まつり協議会ブログ 閉鎖)

    長岡花火ドットコムの歴史調査

    長岡花火ドットコムでは、長岡花火の歴史情報を国立国会図書館のデジタルアーカイブ、長岡まつり大花火大会の公式記録、歴代の新聞記事、その他歴史資料をもとに独自に調査・取材・分析を行っています。

    長岡市立中央図書館(公式)の協力のもと、館所蔵の歴史資料および貴重文献を精査し、長岡花火に関する一次資料の検証を行っています。

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    長岡まつり大花火大会を中心に「花火の街、長岡」の観光情報を全方位でご案内している長岡花火の取説

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