長岡花火の歴史と伝統|遊廓から慰霊・復興へ、明治から令和の大花火の変遷

長岡花火の歴史と伝統|遊廓から慰霊・復興へ、明治から令和の大花火の変遷
長岡花火の歴史
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長岡花火の歴史と伝統|遊廓から慰霊・復興への変遷

長岡花火の歴史は、長岡空襲の慰霊から始まり── と思われていますが、長岡花火の始まりは明治時代からです。

今の主催者が長岡花火を慰霊・復興といったストーリーでブランド化したことで長岡市民でさえ「長岡花火=長岡空襲の慰霊から始まり!」と思っている人も少なくありません。

長岡花火のはじまりは遊廓と強い関係があることから長岡花火公式サイトではたった1行だけの解説…

本記事では、長岡花火の公式記録である煙火目録「長岡花火の沿革」や昔の資料から知られていない事実や歴史の記録を長岡花火ドットコムが独自調査!

明治から令和に至るまで145年続く、長岡花火の奥深い歴史を、どこよりも詳しくご案内します。

長岡藩の砲術に始まり、現代の慰霊と復興の花火に続いている、公式サイトには載っていない長岡花火の歴史情報を、国立国会図書館デジタルアーカイブ(NDLデジタル)、長岡まつり大花火大会の公式記録、歴代の新聞記事、歴史資料の解読、などを独自に取材、調査を行った情報を集約した

長岡花火の歴史と伝統の
フルバージョン

でご案内します。

長岡花火の歴史と伝統|長岡の大花火145年の歴史

藩政時代|長岡花火の始まりは砲術と祝賀行事

「諸珍舗永代帳」と「越後長岡年中行事懐旧歳記」には長岡花火の起源とも言える砲術の昼夜にわたる演習の詳細が説明されていて、藩政時代の砲術から長岡花火へと発展していく過程を知ることができます。

長岡花火の始まりは、1841(天保12)年に長岡藩十代の藩主牧野忠雅のころ領知替えの沙汰止めを祝った「草花火興行」で打揚げられたのが長岡花火の発祥とも言われます。

実はそれよりも先、1821(文政4)年5月12日に、長岡藩主の前で炮術師が順打ちを披露したと記録があります。

長岡花火の始まりは、長岡藩士の狼煙方であった武井亀右衛門ら炮術師の順打ち砲術御覧の圖といえます。

(出典:懐旧歳記 中島に於いて砲術御覧の圖 )

歴史年表

西暦/元号 長岡花火の歴史年表

文政4
長岡藩の砲術師範、武井亀右衛門らが藩主に『炮術の順打ち 』を披露(出典:越後長岡年中行事懐旧歳記)

天保12
長岡藩主牧野忠雅の領知替えの沙汰止めを祝った「草花火興行」が行われた
(出典:越後長岡年中行事懐旧歳記)

明治時代|長岡遊廓が貢献した花火大会のはじまり

長岡花火の近代的花火の打揚げは明治から始まります。

その歴史的な第一回の打揚げは川開き煙火として明治12年9月14日に打ち揚げられたとされています。(出典:明治12年9月10日付 新潟新聞)

その翌年、明治13年には、古くから花火の伝統をもつ片貝(現 小千谷市)の花火を見物した片貝の富豪、佐藤佐平治さんと長岡遊廓の大島屋のつる🌾をはじめとした藝娼妓が中心となって長生橋下で長岡花火の打ち揚げをはじめました。

長岡遊廓の藝娼妓がスポンサーとなって打ち上げられた長岡花火は、明治十二年から明治四十二年まで三十年間も続いた長岡遊廓の年中行事となりました。

つまり、長岡花火の始まりは明治時代に藝娼妓たちがパーティーで打ち上げた花火が長岡花火大会の歴史の始まり。

明治時代の煙火目録には、長岡遊郭の藝娼妓たちの名前がずらりと並んでいて長岡花火を盛り上げていたのは花街の藝娼妓たちだったことが伺い知れます。

明治の終わりになると、「長岡市全体の催しとして打揚げるべきである」と長岡市煙火恊會が組織されて以降、長岡花火を取り仕切るとこになりました。

これにより、長岡遊廓の藝娼妓がスポンサーとなって支え、発展した明治の長岡花火は花柳界の手を離れました。

明治の長岡花火を詳しく

歴史年表

西暦/元号 長岡花火の歴史年表

明治12
  • 最初の煙火打揚
    千手町八幡神社の祭礼で長岡遊廓の関係者が醵金して花火350発を打揚げた。(明治12年9月10日付 新潟新聞)
    取説

明治13
  • 長生橋下で最初の花火大会
  • 大島屋のつる🌾をはじめとした長岡遊廓の関係者が寄付した200余発を大盛況に打揚げ。木版摺四枚綴りの番附

出典:長岡市 編『長岡市史』

  • 十四日 晝14発 夜80発 大仕掛
  • 十五日 晝14発 夜89発 大仕掛

(出典:『明治十三年 煙火打揚順序』)


明治14
雨で順延、9月16日、17日に実施

明治15
日本西洋烟火之法 中川繁治
(出典:『長岡市史 通史編  下巻』)

明治16
🌋煙火目録
宴会の余興、鎮守の祭礼などで花火が流行
(出典:煙火目録 明治16年9月

明治33
  • 6月22日、24日に開催
  • 一寸二寸玉50発打ち揚げ。西洋花火が主流となる

(出典:『長岡市史 通史編  下巻』, NDLデジタル)


明治35
  • 10月1日、2日に開催
  • 仕掛け花火 金魚水遊

(出典:『長岡市史 通史編  下巻』, NDLデジタル)


明治37
9月24日、25日に開催
(出典:『長岡市史 通史編  下巻』, NDLデジタル)

明治40
草生津堤防沿に桟敷(さじき)が設置される、長岡新遊廓🌾(文治町 現:山田町三)の誕生

明治42
長岡遊廓が主体となっていた花火大会が花柳界の手を離れた。

明治43
北越·越佐兩新聞社と商業會議所とが主唱者となつて、長岡煙火恊會を組織。長岡の煙火を取り仕切る事となつた。

明治44
🌋煙火目録
明治時代の最後の長岡市煙火。長岡煙火恊會が主催した競技会も開催

 

 

大正時代|色鮮やかな花火が登場した長岡花火の技術革新|

長岡花火の一大変革期とされるのが大正時代です。

火薬が進歩してマグネシウムなどの金属粉を利用した色鮮やかな花火が登場しました。

玉の容積も拡大して花火の製造技術が一段と進歩し、玉の大きさも大正の初期には尺玉(一〇号)が、大正六年には二尺玉(二〇号)が加わりました。

さらに大正十五年には、二代目中川繁治氏による破天荒の大型花火正三尺玉(三〇号)が打ち揚げられて観衆の度肝を抜きました。

歴史年表

西暦/元号 長岡花火の歴史年表

大正元
明治天皇の大葬により花火大会中止
(出典:『長岡市史 通史編  下巻』, NDLデジタル)

大正2
8月31日、9月1日に開催
出典:『長岡市史 通史編  下巻』, NDLデジタル)

大正6
「二尺玉」4発の打ち上げ(初)(田崎藤蔵氏)
1918年
大正7
煙火マニア 渡邊祐吉🌾が「趣味の花火」を發行

大正12
  • 関東大震災により花火大会の中止
  • 出來上りたる煙火を其儘保存する

大正13
保存した煙火を攝政宮殿下御成婚記念祝賀會で六月一二兩日に打ち上げ

大正15
  • 「三尺玉」九月十五日に打ち上げ(初)中川繁治氏(長原)
  • 全市の電燈を一斉に消灯して打ち上げ報。關發1發、スワレ1發….。
  • 取説 正三尺玉の歴史

昭和時代|戦後復興から「慰霊の花火」へ

昭和時代に入り、長岡花火は次第に規模を拡大し、全国的にも注目される花火大会へと成長していきました。

打ち上げ日は、雨の多い9月から晴天が多い8月5日・6日へと変更されました。

昭和13年から20年までは戦時下の非常態勢により、花火大会が中断される厳しい時期を迎えます。

終戦後の1947年(昭和22年)、長岡花火は「長岡復興祭」として再び開催され、多くの市民に希望をもたらしました。

「慰霊・復興・平和への祈り」の原点となる長岡まつりの始まりは1951(昭和26)年で、その年に戦後初の正三尺玉が嘉瀬花火師親子の手によって打ち上げられ花火大会が長岡市民の慰霊・復興の象徴となりました。

西暦/元号 長岡花火の歴史年表

昭和2

昭和6

昭和8
この頃から三尺玉打ち上げ前の合図が電燈一斉消灯からサイレンに

昭和10
  • 開催日を雨の多い9月から8月5日・6日に変更。
  • 長岡市観光協会が設立され観光協会の行事となる

昭和11
  • 正三尺玉、筒割れで打ち上げ失敗 8月6日
    (出典:杉村広太郎 著『楚人冠全集』第12巻)

昭和12
🌋煙火目録
戦前最後の長岡煙火。

全国有名花火師が全部協力して精魂傾けて作った、長岡の四季をテーマにした全十二 景の「空中レビュ ー」が披露された。


昭和13
戦争により長岡大花火大会が中止

昭和20
8月1日の夜、長岡空襲。米軍のB29編隊125機の爆撃。

昭和21
長岡空襲からの復興を祈願して8月1日に「長岡市戦災復興祭」が開始

昭和22
長岡復興祭で長岡花火が復活(8月1日・2日)
350発余が打ち揚げられ3万人の観客
(出典:『長岡市史 通史編  下巻』, NDLデジタル)

昭和23
8月1日を「戦災殉難者の慰霊」の日とし、8月2・3日を「花火大会の日」と改める。

昭和25
山下清画伯が名作「長岡の花火🌾」を発表

昭和26
  • 「長岡祭」と名称変更
  • 戦後初の「正三尺玉🌾」の打ち上げ成功((嘉瀬誠喜氏・誠次氏)

昭和28
長生橋にナイヤガラ大瀑布🌾(初)

昭和34
  • 長岡祭大煙火大会が「長岡まつり大花火大会」となる。
  • 大花火大会は八月二日だけの開催。

(来場者:十数万人)


昭和35
花火業界のニューフェース!スターマインとナイヤガラのミックス、ベスビヤス🌾(初)
(来場者:35-36万人)

昭和36
  • 30号花火打揚げ場所を 200m 川下へ移動
  • 来場者 45万人

昭和41
🌋煙火目録
  • 市政60周年記念長岡祭
  • 日本一の大花火絵巻 3発上がる30号
  • 県内外の花火師による10号玉鑑賞タイム🌾

昭和43
🌋煙火目録
  • 全国有名花火師による美と技の競演(10号玉鑑賞タイム)
  • 来場者 60万人

昭和45
🌋煙火目録
  • 北島三郎さんが歌う「長岡大花火音頭🌾」が発売
  • 県内外の花火師による尺玉鑑賞タイム
  • 来場者:45万人

昭和47
  • 協賛スポンサーの花火文字が終了
  • 名物だった水中花火が終了

昭和48
🌋煙火目録
  • 協賛スポンサーの読み上げ放送が開始

昭和51
🌋煙火目録
  • 雨天により3日の打ち上げ花火が7日に延期
  • 原信が正三尺玉を初協賛、4発打ち上げ!

昭和52
正三尺玉を4発打ち上げ(大輪菊、しだれ柳、小割り千輪、黄金すだれ)

昭和58
🌋煙火目録
  • 三尺五寸玉(昇り曲導付黄金すだれ小割浮模様)〈嘉〉(8月2日)
  • 打ち上げ筒は郷土史料館に展示

昭和61
🌋煙火目録
  • 市制80周年を記念した尺玉80連発の打ち上げ。(翌年からプラス1発)
  • 冨田勲氏のシンセサイザーの壮大な宇宙音とレーザー光線と長岡大花火の競演「光と音の祭典」(4日)

昭和62
🌋煙火目録
  • 大手大橋にナイアガラ大瀑布(初)
  • 上越新幹線あさひ357号が笹崎で10分臨時停車で正三尺玉を鑑賞
  • 世界の花火フェスティバルでアメリカ・イギリス・中国・フランス・ブラジルの花火を花火師 嘉瀬誠次さんが打ち上げ

昭和63
🌋煙火目録
  • 煙火目録から打ち上げ花火師の記述が消える

平成時代|エンタメ化と復興祈願花火フェニックス

平成時代の長岡花火は革命的にアップデート!

ベスビアス花火が多様化されてエンターテイメント性が高い花火大会になっていきました。

2004(平成4)年の新潟県中越地震によって多くの人が被災した翌年から復興祈願花火フェニックス🌾の打ち上げが開始。

復興祈願花火フェニックスは長岡花火を代表する花火となりました。

さらにミュージック花火(天地人花火・この空の花・故郷はひとつ・尺玉・正三尺玉3連発など花火が大型化しました。

歴史年表

西暦/元号 長岡花火の歴史年表

平成2
🌋煙火目録
  • ナイアガラと正三尺玉の同時打ち上げ(初)
  • ロシアのハバロフスク市で白菊®🌾の打ち上げ(嘉瀬誠次)

平成7
🌋煙火目録
きんさんぎんさんが長岡花火を観覧。長寿花火「金燦銀燦きんさんぎんさん」の打ち上げ。

平成8
🌋煙火目録
花火師 嘉瀬誠次氏が市制90周年を記念して「ワイドスターマイン🌾」(初)を打ち上げ

平成10
🌋煙火目録

平成12
🌋煙火目録
70年に渡って正三尺玉を打ち揚げた大阪海軍工廠製の打ち揚げ筒が引退。

平成13
🌋煙火目録

平成14
🌋煙火目録

平成15
🌋煙火目録
  • 大ナイアガラから超大型スターマインへアップデート(初)
  • 来場者 81万人
  • 白菊®🌾が長岡空襲の同時刻(8月1日 22:30)に3発打ち上げ

平成17
🌋煙火目録
  • 復興祈願花火「フェニックス」(初)
  • 昼行事はミッキーマウス、ミニーマウスとダンサーなどが来場して大手通りをパレード
  • 平原綾香さんが8月3日に来場、長岡花火大会の前にライブで Jupiter を歌唱

平成18
🌋煙火目録
  • 市制100周年を記念した尺玉100発の打ち上げ
  • 正三尺玉3連発のひとつが筒割れで失敗(8月2日)
  • 世界の花火ショーで嘉瀬誠次 最後の花火「正三尺玉2連発🌾
  • 名物MC 佐野護のFM三尺玉が開始

平成19
🌋煙火目録
  • 長岡まつり情報が長岡市公式から長岡花火公式サイトへ
  • フェニックス・ミュージックフェス
    2日 郷ひろみさん、3日 平原綾香さん
  • 来場者 39万人/40万人

平成20
🌋煙火目録
  • 天地人花火🌾(初)
  • ご当地風景ドットコムでインターネット中継(初)

平成21
🌋煙火目録
  • 大和長岡店がスポンサーの最後の正三尺玉
  • 来場者 47万人/41万人

平成22
🌋煙火目録
  • INPEX が正三尺玉の新スポンサー
  • ヨネックスがミラクルスターマインの新スポンサー

平成23
🌋煙火目録
東日本大震災で被災した石巻でミニ・フェニックスを打ち上げ。リレーで冒頭にフェニックス7を打ち上げ。

平成24
🌋煙火目録

平成26
🌋煙火目録
  • 平原綾香さんが再来場(8月3日)、長岡花火大会の前にライブでJupiterを歌唱
  • 復興祈願花火「フェニックス10」が5分10秒のフルバージョン
  • メッセージ花火の終了
  • 来場者 53万人/50万人
  • 中越大震災10周年復興花火〜白菊(10月23日 17:56)

平成27
🌋煙火目録
  • 正三尺玉を3連発で打ち上げ(初)
  • 正三尺玉とスターマインの共演
  • 花火『故郷はひとつ』(初)
  • 来場者 56万人/48万人

平成28
🌋煙火目録

平成29
🌋煙火目録
  • 長岡花火財団・長岡煙火協会の設立
  • 主催が長岡まつり協議会から長岡花火財団へ……。
  • 来場者 52万人/51万人

平成30
🌋煙火目録
  • 長岡花火財団の改悪
    ・前夜祭から平和祭に名称変更
    ・慰霊花火「白菊®」の名称を使用中止
    ・長岡市民優先枠を撤廃
    ・長岡花火の商標使用を独占有償化
    ・打ち上げ花火師の公表を中止
  • 来場者 50万人/54万人

平成31
🌋煙火目録
  • 長岡花火インターネット中継班が長岡花火財団と協議後に配信撤退(note
  • 観覧チケットが販売前に「完売」!?
  • 来場者 52万人/56万人(過去最高)

令和時代|長岡花火の迷走⁉️ 全席有料・高額転売・会場に来るな

2017(平成29)年から長岡花火を主催している長岡花火財団。

県外から来訪する観客には評判が良いですが、長岡市民には評判が悪く、特に昔からの花火好きには酷評されています。

長岡花火財団になってから「慰霊と復興」がストーリー化されて市民に寄せてきましたが、独占的で商業的な花火大会になってきたと感じる長岡市民は少なくありません。

公式サイトも過去の情報が一新されて、「慰霊と復興」ストーリーで中身の薄いサイトになりました。

市民の声に耳を傾けない長岡花火財団が主催する令和の長岡花火の今後を見守りたいと思います。

歴史年表

西暦/元号 長岡花火の歴史年表

令和 2
新型コロナウイルス感染症の影響で戦後初の中止

令和 3
二年連続で開催中止

令和 4
🌋煙火目録
  • 長岡花火財団が無料席を撤廃して全席有料化
  • 長岡市民先行枠を復活
  • 超大型スーパーベスビアス(初)
  • スペシャルスターマイン(初)
  • 来場者 15万人/13万人

令和 5
🌋煙火目録

令和 6
🌋煙火目録
  • 越後長岡応援団の終了(3月31日)
  • 観覧チケット値上げ&完売
  • 長生橋のナイアガラ中止(初)
  • 「白菊®」の呼称復活
  • 稀空〜フェニックスへのリレー花火
  • 長年親しまれた打ち上げジングルが変更
  • 来場者 34万人

令和 7
  • 協賛も市民先行
  • 公式駐車場を全有料・予約制
  • 長生橋のナイアガラ中止(2年連続)
  • 転売対策として記名式チケットへ
  • 原信協賛の正三尺玉三連発が10周年

\これからも長岡花火の感動を!/

楽天市場|長岡市公式ショップ丸ごとながおか

長岡花火の歴史でよくある質問

長岡花火の歴史で気になるのが「いつから始まったの?」です。

  • 長岡花火はいつからはじまった?
  • 戦後初の正三尺玉はいつ?
  • 正三尺玉を打ち揚げまくったのはいつ?

など、いろいろなルーツについてのよくある質問をまとめました。

長岡花火の歴史年表でよくある質問

長岡花火の公式年表はどこで見れますか?
長岡花火公式サイトの「長岡まつり・大花火大会の歴史」 でみることができます。
長岡花火の歴史年表はどこに掲示していますか?
道の駅 ながおか花火館(公式)と長岡花火情報室(公式)に掲示してあります。
長岡花火の情報を発信している拠点はどこですか?
長岡市内にある長岡花火ミュージアムと長岡花火情報室で案内しています。
公式サイトの他に長岡花火の情報はありますか?
長岡観光ナビ(公式)に長岡の花火を最大限楽しめる豆知識も情報があります。
長岡花火の歴史を詳しい解説はどこですか?
長岡花火ドットコムが独自調査した「長岡花火の歴史」カテゴリーの記事をご覧ください!

 

出典一覧・参考文献

 

長岡花火の歴史についての執筆にあたっては、長岡市立中央図書館(公式)の協力のもと、所蔵の歴史資料および貴重文献を精査し、長岡花火に関する一次資料の検証を行っています。

長岡花火関連の公式ウェブサイト

運営者の情報
長岡花火ドットコム

長岡花火ドットコムは長岡花火の専門情報サイト。情報収集のプロとして長岡花火145 年の歴史から最新情報まで信頼性の高い情報を提供。観覧チケット、宿泊、名産品、観光スポットなど長岡花火だけじゃない「花火の街、長岡」の魅力を全方位でご案内する長岡花火の取説です。|ローカルガイドLV7

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