長岡花火「慰霊の花火・白菊」の歴史と意味を解説
長岡まつり大花火大会は長岡空襲の犠牲者への慰霊・復興・平和への祈りが込められています。
慰霊の花火のシンボル的な花火が手向けの菊のように真っ白な「白菊®(しらぎく)🌾」
もともと白菊は、長岡花火の礎を築いて発展させたレジェンド花火師・嘉瀬誠次氏がシベリアに抑留された戦友たちの慰霊のために打ち上げた花火です。
その後、長岡空襲の日である8月1日に慰霊の花火・白菊が打ち上げられるようになりました。
現在の長岡花火では「慰霊・復興」が強調されていますが、その歴史的な事実や始まりが正しく知られていません。
長岡花火ドットコムでは長岡花火の煙火目録など歴史的な公式史料を元にして、長岡花火と白菊®の事実から「慰霊の花火・白菊」の歴史と意味を解説します。
『白菊』の歴史はじまり
「白菊」の歴史はじまりは、 1990(平成2)年7月14日にロシア(当時ソ連)のハバロフスク市・アムール湖畔開催されたアムール川大花火フェスティバルでの打ち上げられました。
ロシアで長岡花火が打ち上げられた理由は、戦友への慰霊・鎮魂。
嘉瀬誠次氏は、第二次世界大戦時に千島列島に配属され、終戦後にシベリア抑留されて3年間シベリアで重労働を強いられました。
シベリアで共に抑留された戦友のために花火を見せたい、手向けたい思いから精魂込めて作った白菊を打ち上げました。
3,000発の長岡花火が打ち上げられた様子は
「花火師・嘉瀬誠次氏40年の熱き想い アムール川上空に花ひらく。」
とNHK衛星放送で生中継されました。
長岡まつりと慰霊の花火
「慰霊の花火」は戦後から継続的に打ち上げられてきたという印象がありますが事実は違います。
1998年の8月2日・3日に『平和への祈り』として公式に打ち上げられ、2003年以降に8月1日(長岡空襲の日)での慰霊花火として定着しました。
『平和への祈り』は、8月2日・3日の大花火大会の番外として10号2発が冒頭に打ち上げられています。(出典:長岡の大花火 ’98 長岡まつり協議会 /編, 長岡まつり協議会, 1998)
つまり、
長岡空襲の日(8月1日)より先に、花火大会(8月2日・3日)で打ち上がっていました。
その他の長岡花火の代表的な花火の打ち上げが始まったは、
- 🧨 三尺玉(1951年)
- 🧨 ナイヤガラ(1953年)
- 🧨 ベスビアス(1960年)
他の花火と比べると、白菊の打ち上げが始まったのは割と最近で意外と歴史は浅いです。
8月1日「慰霊の花火」打上げのはじまり
毎年、長岡まつりの行事内容を特集した冊子「長岡まつり特集号」が発行されます。
長岡まつり特集号の中に「慰霊の花火」打上げの思いが書かれています。
長岡空襲の始まった時刻(8月1日午後10時30分)にあわせて慰霊の花火を打ち上げます。
空襲で亡くなられた方々への慰霊、復興に尽力した先人への感謝、恒久平和への願いを込めて、白一色の尺玉3発を打ち上げるとともに、市内寺院の協力を得て同時刻に慰霊の鐘を鳴らします。
皆様からも、是非この趣旨をご理解いただき、慰霊の花火打上げに合わせお祈りをいただければ幸いです。
(引用:長岡まつり特集号, 長岡市)
2003年から長岡空襲のあった8月1日に「慰霊の花火」の打ち上げが始まりました。
嘉瀬誠次氏が「菊のように真っ白な花火を手向けたい」思いから作られた白菊は、慰霊・復興・平和への祈りの象徴的な花火として、長岡空襲のあった同じ日、同じ時間(8月1日 22:30)に白菊3発を打ち上がるようになりました。
当初は、『殉職者の霊を弔う 10号3発』として打ち揚げられていて「慰霊」というワードは使われていません。
1946(昭和21)年に長岡復興祭(長岡まつり)の開催から「慰霊の花火」としての長岡花火と思われがちですが「慰霊」という言葉が使われるようになったは2011年からです。
大花火大会(8月2日・3日)の番外で『慰霊と平和への祈り』10号2発が冒頭に打ち揚げられました。
慰霊・復興のシンボル的な花火の白菊 10号3発 として打ち上げが始まったのは更に後の2015年からになります。
(出典:長岡まつり特集号)
記憶が風化!?慰霊を忘れていた長岡市民
慰霊と復興のシンボル的な白菊が打ち上げられる理由は……。
長岡市民が慰霊の思いを忘れかけていたせい!
長岡花火は慰霊と復興の花火!と当たり前のように言われていますが実は、長岡市民が慰霊を忘れかけてました💦
長岡空襲からの慰霊と復興の思いから始まった長岡まつりですが、全国的に有名になるにつれて戦争の記憶と慰霊の思いが風化していました。
そのため、長岡まつりの開催意義を改めて思い返すために長岡まつり協議会の実行委員長が花火師・嘉瀬誠次氏と相談して長岡空襲のあった8月1日に慰霊の花火・白菊を打ち上げることにしたのが始まります。(出典:市政だより No.707 2013年7月25日)
長岡市も8月1日を長岡市恒久平和の日とする条例を交付して市民の平和意識の高揚を図りました。(2015年7月23日公布)
長岡市は、昭和20年8月1日の長岡空襲から70年のときを迎えた。
私たち長岡市民は、長岡空襲により犠牲になられた方々を悼み、悲惨な戦争の記憶を風化させることなく、平和の尊さを後世に語り継ぎ、広く世界に向けて発信していかなければならない。
よって、長岡市恒久平和の日を定め、恒久平和の実現に取り組んでいくものとする。
長岡まつりで「慰霊の花火・白菊」が打ち上げられる理由は、慰霊・復興・平和への祈りの思いを忘れないためなのです。
長岡花火=慰霊と復興とは、
意外と最近になってから強調されるようになったストーリー
長岡市民は忘れてたんだから「長岡花火は慰霊と復興の花火!市民の花火!」と偉ぶることなく謙虚にね。
白菊は3発じゃない!?
長岡花火の慰霊の花火・白菊は、「慰霊」「復興」「平和への祈り」と3発が打ち上がる印象がありますが当初は2発の打ち揚げでした。(1998年)
その後の2014年は5発、2015年以降から3発の白菊が打ち上げられました。
コロナ禍で戦後初の中止になった2020年、2021年も『2020長岡花火3つの希望プロジェクト』として8月1日、2日、3日に「慰霊、復興、平和の花火」10号3発、そして、「新型コロナウイルスの終息を祈願する花火」10号1発として、4発の白菊が打ち揚げられました。
「慰霊」「復興」「平和への祈り」の思いを込めた3発が打ち揚げられているイメージがあるけど実はそうでもなくて後につけられたストーリーです。
ただ、8月1日(長岡空襲の日)は2003年から伝統的に白菊3発が打ち上げられています。
白菊・平和への祈りの打ち上げの歴史
開催年度 | 平和祭 8月1日 |
大花火大会 8月2・3日 |
---|---|---|
1998 平成10年 |
平和への祈り10号2発 | |
1999 平成11年 |
平和への祈り10号2発 | |
2000 平成12年 |
平和への祈り10号2発 | |
2001平成13年 | 平和への祈り10号2発 | |
2002 平成14年 |
平和への祈り10号2発 | |
2003 平成15年 |
殉職者の霊を弔う10号3発 | 平和への祈り10号2発 |
2004 平成16年 |
殉職者の霊を弔う10号3発 | 平和への祈り10号2発 |
2005 平成17年 |
殉職者の霊を弔う10号3発 | 平和への祈り10号2発 |
2006 平成18年 |
殉職者の霊を弔う10号3発 | 平和への祈り10号2発 |
2007 平成19年 |
殉職者の霊を弔う10号3発 | 平和への祈り10号2発 |
2008 平成20年 |
殉職者の霊を弔う10号3発 | 平和への祈り10号2発 |
2009 平成21年 |
殉職者の霊を弔う10号3発 | 平和への祈り10号2発 |
2010 平成22年 |
殉職者の霊を弔う10号3発 | 平和への祈り10号2発 |
2011 平成23年 |
殉職者の霊を弔う10号3発 | 慰霊と平和への祈り10号2発 |
2012 平成24年 |
殉職者の霊を弔う10号3発 | 慰霊と平和への祈り10号2発 |
2013 平成25年 |
殉職者の霊を弔う10号3発 | 慰霊と平和への祈り10号2発 |
2014 平成26年 |
殉職者の霊を弔う10号3発 | 慰霊と平和への祈り10号5発 |
2015 平成27年 |
白菊10号3発 | 白菊10号3発 |
2016 平成28年 |
白菊10号3発 | 白菊10号3発 |
2017 平成29年 |
白菊10号3発 | 白菊10号3発 |
2018 平成30年 |
慰霊と平和への祈り10号3発 | 慰霊と平和への祈り10号3発 |
2019 令和元年 |
慰霊と平和への祈り10号3発 | 慰霊と平和への祈り10号3発 |
2020 令和2年 |
白菊10号3発 | 開催中止 |
2021 令和3年 |
白菊10号3発 | 開催中止 |
2022 令和4年 |
白菊10号3発 | 慰霊と平和への祈り10号3発 |
2023 令和5年 |
白菊10号3発 | 慰霊と平和への祈り10号3発 |
2024 令和6年 |
白菊10号3発 | 白菊10号3発 |
2025 令和7年 |
白菊10号3発 | 白菊10号3発 |
白菊が打ち上がる日時と場所|慰霊の花火が届けるメッセージ
手向けの菊のように真っ白な白菊は、慰霊・鎮魂の花火として様々な機会に打ち上げられています。
長岡まつり大花火大会(8月2日・3日)は『慰霊と平和への祈り』や『白菊』などの花火名称で打ち上げられます。
8月1日 長岡空襲の日に打ち上がる白菊
長岡空襲(Wiki)の日である8月1日の 22:30 に白菊が打ち上げられます。
長岡市では、1945(昭和20)年8月1日の午後10時26分、空襲警報が鳴り響き B-29 戦略爆撃機 125 機による焼夷弾爆撃が始まりました。
B29はM69集束油脂焼夷弾を次々と投下。
M69集束焼夷弾は落下途中で38発の焼夷弾子弾に分散し、長岡の街に落下して市街地を炎上させました。
爆撃は翌2日午前零時10分までの間、約1時間40分間も続き、長岡の市街地の約80パーセントが一夜にして焼失しました。
長岡空襲により学童約300名を含む1,488名の尊い生命が失われました。(出典:長岡空襲について, 長岡市)
長岡空襲による被害状況
罹災時の人口 (昭和20年7月) |
74,508人 |
---|---|
空襲開始時刻 | 8月1日午後10時30分 |
爆撃機の数 | 125機 |
投下爆撃量 | 924.3トン |
死者数 | 1,488人 |
焼失戸数 | 11,986戸 |
(引用:長岡空襲による被害状況, 長岡空襲について 長岡市)
終戦の日(8月15日)
戦友達英霊に捧げる「白菊」が打ち上がります。
日米開戦の日(12月8日)
日米開戦となった12月8日。
太平洋戦争の犠牲者への鎮魂と世界平和への願いを込めた花火「白菊」を日米開戦の日(12月8日)に打ち上げます。
打ち上げ花火の3つの想い
1、太平洋戦争犠牲者への鎮魂(白菊)
2、戦争・テロ犠牲者への鎮魂(白菊)
3、世界平和への願い(金冠)
12月8日は「白菊」の打ち上げの他にも世界平和を願うイベントや「祈りの調べ」コンサートなどが開催されます。
長岡市のシンボル「長生橋」も12月は白色でライトアップされます。長生橋が白くライトアップされている意味も太平洋戦争の犠牲者への鎮魂と世界平和への願いです。
東日本大震災の3月11日
2020年から東日本大震災があった3月11日に地元の有志が中心となって震災の犠牲者の追悼のために打ち揚げられています。
岩手県釜石市鵜住居町の根浜海岸で鎮魂と復興の花火「白菊」が打ち上がります。
打ち上げる花火師は、花火の街・長岡の嘉瀬煙火工業が打ち上げています。
主催:3.11祈りと絆「白菊」実行委員会
ホノルルフェスティバル
毎年、ハワイのホノルルで開催されているホノルルフェスティバルでは長岡花火が打ち上げられています。
ホノルル市(ハワイ州)と長岡市(新潟県)は今は姉妹都市提携を結んでいる仲良しの間柄なのですが両都市には、
太平洋戦争での因縁があります。
ホノルル市は長岡市出身の連合艦隊司令長官 山本五十六が指揮する日本軍から真珠湾攻撃を受けて2400名の犠牲者がでました。長岡市も終戦直前に米軍の大空襲により1400名余りの犠牲者がでています。
太平洋戦争では敵同士で互いに多くの犠牲者をだしたホノルル市と長岡市が、今では理解を深め平和交流を深めることで世界平和を発信しています。
ホノルルフェスティバルでハワイで打ち上がる慰霊の花火「白菊」には真珠湾攻撃と長岡空襲の犠牲者への慰霊と世界平和の願いが込められています。
花火打揚げ予定表
長岡市では、花火打揚げ予定表(公式)を公開しています。
市内で打揚げられる花火の日時・場所等が公開(プライベート花火などを除く)されていて
毎年、打ち上げられる白菊の打揚げ予定も公開されています。
花火の街・長岡では突然、スターマインが打ち上げ開始することもあって打ち上げ予定表にない花火は謎花火🌾と言われています。
慰霊の花火・白菊の知っておきたい情報
令和時代に長岡花火のメインで打ち上がる花火はスターマイン🌾(速射連発)
復興祈願花火フェニックス🌾や天地人花火、ベスビアススターマインなど派手な演出で次々に打ち上がるスターマインは大迫力で人気の花火。
単発で打ち上がる花火は「正三尺玉」、「匠の花火」と白菊です。
慰霊の花火「白菊」は打ち上げから消え口までじっくりと鑑賞できる単発花火。
単発花火を鑑賞するときに知っておきたい花火の見方をご案内します。
花火師・嘉瀬誠次が語る白菊の見どころ
白菊は「ゆっくりと打ち上がって、しんなりとひらく」独特の長岡花火です。
白菊を作り上げた花火師・嘉瀬誠次氏は白菊の見どころを次のように語っています。
「少し哀愁を帯びた静かな開き方をみてほしい」
── 嘉瀬誠次
嘉瀬花火師がいっていたように静かな開き方を見てください。
玉の開發
打ち上げた花火は抛線状に飛び、徐々に角度が垂直線を外れて降り始めた玉が下を向いてちょっと下がりはじめた刹那を「玉の座り」といいます。
この最高点で開發すると「玉の座りがいい」と表します。
最高点では加速度が少なく、垂直に近い方向なので開いた玉の星はいっぱいに大きく飛びます。逆に上であれば斜めになり、下であれば面を小さくなり肩を張りません。
打ち上げられた玉は、最高点で開くのが理想で、この刹那に花火玉が開く美しく丸くなります。
盆(ぼん)
玉が開いた後の立体的な光の円の面を盆と呼びます。
花火の盆は大きいほど見た目がいいですが、盆を大きくすると星の間隔を適度に保ち難く花火の形が乱れたり、形が歪になります
玉の張・割・星の三拍子がそろって円形で星の適度な間隔の「盆がいい」花火となります。
星の飛ぶスピードなどは花火師の個性が表れるところです。
白菊の見どころは、
少し哀愁を帯びた静かな開き方
に注目してご覧ください。
肩(かた)
開發した後、星がなるべくきれいに放射状に飛ぶのが良いとされます。
菊型の花火玉が開いて星の光筋のことを「肩」といいます。星が光度を保ったまま「肩」が途中で消えずに開くと花火の盆の形が美しく丸くなり「肩のはりがいい」といいます。
美しくまん丸に開く白菊に注目です。
星の光度
白菊の名の通り、白一色の菊型花火。
星の明るさは、暗より明るく變化するが好まれますが、ちょうどいい感じなのが白菊である。
白菊は、星がヌケルことも砕けることもなくいい塩梅で變化します。
消え口
花火の星がすべて同時に消えることがよいとされて、星が揃って消えることを「消え口が揃う」いいます。
白菊のパッと明るく白く開いた後、しんなりとした消え口が特徴的です。
白菊のスペック
白菊は、尺玉(10号玉)🌾です。
尺玉とは花火玉の直径ではなく打ち揚げる筒の内径が1尺(30.3cm)の花火のことをいいます。実際の尺玉の直径は標準的に約28.8cmくらいです。
打ち上がる高さは330mで盆の直径は280~300mになります。
登録商標「白菊」で花火財団とのトラブル
2016年に嘉瀬煙火工業が『白菊(シラギク・シロギク)』を登録商標(第5855822号)しました。(出典:特許情報プラットフォーム 商標照会)
今まで白菊=シラギクと呼んでいましたがシロギクでもよさそうです。
以前の長岡花火では花火の名称「白菊」と呼んでいましたが、長岡花火財団になってから「白菊」の名称の使用を中止して「慰霊と平和の祈り」となりました。
当時の公式サイト(現在は削除)には以下の記載がありました。

引用:「長岡花火」公式ウェブサイト(現在は削除)
長岡花火財団は長年、長岡花火を支えてくれた嘉瀬煙火工業を第三者扱いし、白菊の名称使用を取りやめました。
これに対し、嘉瀬煙火工業は「財団が決めることではない。白菊を楽しみにしている市民の声に委ねたい」としていましたが長岡花火財団(樋口勝博専務理事)が使用中止を決定。
8月1日の午後10時半に長岡空襲の慰霊で打ち上げる花火も「白菊」の名を使わないこととしました。
それ以降の年は長岡花火で白菊の名称が使われなくなりました。(出典:新潟日報モア 2018/06/02 )
ところが、長岡花火の功労者であった嘉瀬誠次さん亡くなった翌年以降から白菊の名称を再び使い初め、2025年の長岡花火のポスターには白菊を使用しています。
市民の声でなく、財団がなんでも決めている今の長岡花火と白菊を嘉瀬さんはどう思っているんだろ……。
財団になってから長岡花火の歴史がバグってきた気がします。
出典・参考文献
- 山崎まゆみ『白菊-shiragiku-: 伝説の花火師・嘉瀬誠次が捧げた鎮魂の花』,小学館, 2014
- 市政だより(長岡市政ライブラリー)
長岡の大花火
長岡市立図書館(公式)所蔵
- 長岡の大花火 ’98 長岡まつり協議会 /編, 長岡まつり協議会, 1998
- 長岡の大花火 ’99 長岡まつり協議会 /編 長岡まつり協議会, 1999
- 長岡の大花火 2000 長岡まつり協議会 /編 長岡まつり協議会, 2000
- 長岡の大花火 長岡まつり協議会 /編 長岡まつり協議会
- 長岡の大花火 2002 長岡まつり協議会 /編 長岡まつり協議会
- 長岡の大花火 長岡まつり協議会 /編 長岡まつり協議会
- 長岡まつり特集号 2003 長岡まつり協議会 /編 長岡まつり協議会
- 長岡まつり特集号 2004 長岡まつり協議会 /編 長岡まつり協議会
- 長岡の大花火 長岡まつり協議会 /編 長岡まつり協議会
- 長岡まつり特集号 2006 長岡まつり協議会 /編 長岡まつり協議会